相模原事件「植松被告の論理」を、私たちは完全否定できるか
年明けから、相模原45人殺傷事件の裁判が進んでいる。初公判では、植松被告は起訴事実を認めながらも、手を口に突っ込んで暴れるなどして退廷させられた。私たちは、植松聖という男の凶行を「私たちとはまったく相容れない、異質な者が狂気に駆り立てられて起こした事件である」と捉えるべきなのだろうか。
年明けから、相模原45人殺傷事件の裁判が進んでいる。初公判では、植松被告は起訴事実を認めながらも、手を口に突っ込んで暴れるなどして退廷させられた。私たちは、植松聖という男の凶行を「私たちとはまったく相容れない、異質な者が狂気に駆り立てられて起こした事件である」と捉えるべきなのだろうか。