米コロナ死者数が世界最多 2万人超、イタリア上回る
米ジョンズ・ホプキンズ大の集計によると、新型コロナウイルスによる米国の死者が11日、2万人を超え、国別でイタリアを上回り最多となった。イタリアの死者は1万9468人。米国は感染者数も約52万人で最多。
米ジョンズ・ホプキンズ大の集計によると、新型コロナウイルスによる米国の死者が11日、2万人を超え、国別でイタリアを上回り最多となった。イタリアの死者は1万9468人。米国は感染者数も約52万人で最多。
来年5月に関西を中心に開催が予定される生涯スポーツの国際大会「ワールドマスターズゲームズ(WMG)2021関西」の選手登録が今年1月から始まった。新型コロナウイルスの感染拡大の影響が懸念されたが、組織委員会は開催時期を延期せず当初計画通り開催することを決めた。感染拡大の終息を願いながら、開催地ではスポーツをきっかけにしたまちづくりに向け、準備を進めている。
新作映画の公開が、相次ぎ延期になり、その数は2月以降、約60本に上っている。複数のスクリーンを有するシネマコンプレックス(シネコン)の一部が新作の不足を埋めるかのように過去の名画の上映を始めるなど、新型コロナウイルスの感染拡大が映画に与える影響は大きくなる一方だ。
古今東西、美術・アートを育て、支えてきたのは、「民」の力によるところが大きい。近世以降、都市の裕福な商人や地方の豪農たちの財力が、時代に適合した「美」の基準を生み出す芸術家の活動を育ててきた。そうしたDNAは、自ら収集した品を社会還元しようと開設される私設美術館というかたちで現代に引き継がれる。さらに、未来を見据え、関西財界も動きだした。
【ニューヨーク=上塚真由】新型コロナウイルスの感染拡大が急速に広がる米国では、入院して治療を受け、新型コロナを克服した人たちも増えている。壮絶な医療現場を目の当たりにし、退院後に「治療に役立ちたい」と立ち上がる人の輪が広がる一方、簡単には日常生活に戻れず、苦しみが続く人も少なくない。
新型コロナウイルスの感染拡大により、全国の病院が大混雑している。それは内科だけではない。松崎病院(愛知県)の精神科医・鹿目将至氏は、「親交のある県内の精神科医の場合、3月下旬のある日に診察した患者68人中58人がコロナへの強い不安を述べたそうです。『コロナ鬱』といってもいい症状を訴える患者が急増しています」という--。
動物性の素材を一切摂らない食のスタイル「ヴィーガン」。ストイックなイメージを抱かれがちだが、それを志向しない人の興味をもそそる「楽しそうなコンセプト」「おいしそうな(実際、おいしい)料理」の専門店が急増中だ。制約があるからこそ、それぞれの作り手がクリエイティビティを発揮。シンプルに「これ、食べてみたい!」と感じるヴィーガンの世界をのぞいてみよう。今回はチプーン編。
北米プロアイスホッケーNHLのオイラーズは11日、フォワードのコルビー・ケーブが死去したと発表した。25歳だった。米メディアによると死因は脳出血だという。今季は11試合に出場し、1得点をマークしていた。
テニスの女子ツアーを統括するWTAは11日、カナダのモントリオールで8月10~16日に実施予定だったロジャーズ・カップが新型コロナウイルスの影響で中止になったと発表した。WTAは既にツアーを7月中旬まで中断するとしている。
気象庁は12日、発達する低気圧の影響で、西日本から北日本の広い範囲で14日にかけて非常に強い風が吹き、大荒れの天気となる恐れがあるとして警戒するよう呼び掛けた。局地的に雷を伴った非常に激しい雨が降り、大しけとなる所がある見込み。
上方演芸界で最も長い歴史を持つ「第55回上方漫才大賞」(ラジオ大阪、関西テレビ主催)が11日、発表され、芸歴26年のお笑いコンビ、シャンプーハットが大賞を初受賞した。
映画監督の大林宣彦さんが肺がんのため82歳で亡くなって一夜明けた11日、映画界の盟友が別れを惜しんだ。1983年の映画「時をかける少女」で製作としてタッグを組んだ映画監督でプロデューサー、角川春樹氏(78)は「また青春ものを一緒にやろうと話していた」と突然の別れに沈痛な思いを吐露。山田洋次監督(88)も友人の死を悼み、行定勲監督(51)は次回作の監督補を依頼されていたことを明かした。
“映像の魔術師”と称された大林宣彦監督(享年82)が愛したヒロインたちも、恩人の死を悼んだ。故人の代表作である尾道三部作で1985年の完結編「さびしんぼう」の主演女優、富田靖子(51)も「監督に会いたいです」と切なる願いを吐露。最新作「海辺の映画館-キネマの玉手箱」に出演した女優、常盤貴子(47)も「きょうは大好きな大林作品を観ながら、偲びたいと思います」と名監督に敬意を表した。
映画監督、大林宣彦さん(享年82)の死去から一夜明けた11日、大林さんが最期まで映画を“製作”していたことが分かった。遺作「海辺の映画館-キネマの玉手箱」の製作総指揮を務めた奥山和由氏(65)によると、この1、2週間は夢の中でも撮影していたと説明。寝言で「カット」などと指示を出し、「最後は必ず大声で『みんなありがとう!』と感謝していたそうです」と故人の思いを伝えた。